「阿修羅王は、こわい顔ぢやなくて、今生きてゐるもの、また過去に生きてゐた、世界中のどの女よりも美しく好ましい姿であるのです。」
―「阿修羅王に似た女」『オール読み物』昭和8年1月
雪岱は仏像を好み、とくに興福寺の阿修羅像に理想の女性を重ねていた。
東京美術学校(現東京藝術大学)に在学中のある日、下宿していた根岸の路地から、「阿修羅王」に似た女が向かってきた。彼女はにわか拵えの屋外舞台に立った舞妓で、その姿は月の光にゆらめいて、夢のようだった。
その後、二度と出会うことはなかったが、作品のなかでそれを求め続けた。晩年、画友・鏑木清方から肉筆画をもっと描いたら、と勧められた。多忙を極めていたが、それでも合間をぬって絵筆をとった。
それは雪岱にとって、究極の「阿修羅王」を追求する得難いときだった。